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高知では3月5日から、「志国高知 龍馬ふるさと博」が開催されます。「志国高知 龍馬ふるさと博」へお越し下さい。 高知観光情報発信館「とさてらす」2月5日オープン! 「志国高知 龍馬ふるさと博」の新パビリオン「龍馬伝」幕末志士社中:7月9日オープン! 高知では、「土佐・龍馬ふるさと博」に続くイベントとして「志国高知 龍馬ふるさと博」が開催されます。 開催に合わせ、高知県内のええもん(良い品)を紹介します。 何れも高知県産の商品です。「志国高知 龍馬ふるさと博」と共に高知をご堪能下さい。 |
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龍馬ふるさと博:岡田以蔵〔人斬り以蔵〕
人斬り以蔵と呼ばれる岡田以蔵については、足軽という説と郷士という説があり定まっておりません。岡田家が郷士であったのは間違いないのですが、龍馬伝でも岡田以蔵は軽輩の足軽とされるようです。 土佐藩では、郷士は下士ではありましたが決して軽輩ではありません。足軽は士分の内では軽輩ですので、郷士である岡田以蔵がより身分の低い足軽というのはおかしいように思えますが、父親の代から足軽であったことも間違いないようです。 つまり、郷士であり足軽だったことになります。岡田以蔵が人斬り以蔵となりえた訳はここにあるのではと思われます。 土佐藩では郷士は下士として扱われました。武知半平太のような上士格の郷士(白札郷士)もいましたが、基本的に上士となることは出来ませんでした。ところが、最軽輩の足軽は身分的には郷士よりも下ですが山内家直系の士分ですから働きによっては出世することもあり得たのです。その為以蔵の父親は次男だったこともあり、足軽に応募したものと思われます。 このことは、他の郷士にとっては出世のために手段を選ばぬ裏切り者のように見られたのではと思われます。以蔵が孤独で屈折した心を持ち、武知半平太に命じられるままに人斬りを繰り返しながら、信用されることなく口封じのために毒殺されそうになる運命をたどった原因は、ここにあるように思えます。 龍馬伝では、フィクションの恋人なども登場して、結構いい男に描かれるようですが・・・ |
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龍馬ふるさと博:武市半平太
龍馬伝では、人物の描き方が単純すぎるようで、武市半平太(武市瑞山、年配の方には月形半平太のモデルとしても有名)の描き方も龍馬と対比のためか了見の小さな人物のように描かれていますね。龍馬伝はフィクションなので、それでよいのかもしれませんが、少しかわいそうです。実際に単純、教条的な人物であったなら、人を動かすことなど出来なかったでしょう。 2月28日放送の龍馬伝で、攘夷のために拾った懐中時計を質入した山本琢磨(後の日本人初の司祭、沢辺琢磨)を切腹させようとしたように描かれていますが、実際は龍馬らとともに助命のため金策し、切腹がさけられぬ状況となったときには逃がしています。 武市半平太は切腹も仕方がないと考えていたという説も有りますが、助命を最も願ったのは半平太でした。龍馬一人が逃がしたわけではなかったのです。 山本琢磨は、坂本龍馬の従兄弟ですが、武市半平太の妻、富子の叔母の子でもあり、親族だったのです。 剣だけでなく、書や絵画にもすぐれた才能を持つ俊才で、美男子だったと言われています。武市半平太の銅像は高知県の横波にありますが、最初の銅像が似ていないと作り直されました。日本で唯一銅像が造り直された人物だそうです。(ちなみに、これは作者の力量の問題ではなく、ああだこうだと注文を付ける方があまりにも多かった為だそうで、船頭が多い高知の県民性が原因のようです。) |
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龍龍馬ふるさと博:平井収二郎・平井加尾
平井収二郎・加尾の兄妹の家は新留守居組という土佐藩上士の中では軽輩とはいえ、郷士である武市半平太や坂本龍馬よりは上位の家柄です。龍馬伝では下士のように描かれていますが、上士でした。それ故、加尾は山内容堂の妹・山内友姫が、1859年12月に京の三条家(尊皇攘夷派)に嫁つぐ際、御付役(奥女中)として三条家に仕えたのです。武市半平太らに依頼されてのことではありませんし、攘夷派のスパイだったわけではありません。 平井収二郎は後に武市半平太を首領とする土佐勤王等に加盟しますが、土佐藩上士の内に尊皇攘夷派が現れだしてからだと思われます。 その後、公家らに尊攘思想を説くなど活発に活動し、公家を利用して藩政改革を推進しようとしたため、土佐藩隠居、山内容堂の怒りに触れ、武市半平太に先立ってに投獄、切腹させられました。 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で坂本龍馬の初恋役として描かれる土佐藩家老の娘、お田鶴様のモデルが平井加尾だったと言われています。 平井加尾は坂本龍馬から、男装のための衣装と刀を用意するようにという謎の手紙を受け取り、準備して待っていたという史実があり、かなり深い関係が想像されますが、兄の平井収二郎からは「坂本龍馬のいうことは聞くな」と言われていたようです。 |